震える重い水滴ごしに視つめ / すでに活動している冥府

私ひとりのための小説を書くとしましょう。読者ぬきの。実在しそうにない小説。私はひどく哀れな、ひどくみじめな女ですから誰かに秘密を打明けたりしません。私の所有するものは、すこぶる僅かですから、それは金輪際ほかの人と分ちあえるものではないのです。ひとかけらの食べもの、ひとひらの埃。それが私の全宇宙です。それを私は震える重い水滴ごしに視つめるのです。『オペラ』。シャンデリヤ、限りない音楽。夢を見たい者は夢を見、夢を見うる者は夢を見る、というわけです。仙女の棒のようなオーケストラの指揮棒、光線のたばにつかまった蛾、歌う人形、音を出す操り人形。 一つのごく古い世界。舞台、私の幼い日の玩具、さる人にもらった贅沢な贈物。平らな箱、その舞台の奥にもうけられた背景、舞台のうえのあちらこちらには繁った葉をつないで書割となっている樹木。そして木製の台にくつつけられて立っている張子の俳優たち……。揚幕は赤く、金びかに塗った総(ふさ)がついていて、日除けのように巻き揚げられているのが、私の目に浮びます。この世の舞台という舞台は私にとってはこの舞台なのです。ポール紙と着色した布とで出来あがった一つの世界、私を魅了する会話、 一方の足を折りまげ、もう一方は伸ばして岩のうえに腰をおろしているテノール歌手、そして神聖な顫音、そして奈落の底の低音歌手。

 

エルザ・トリオレ,田村俶訳『ことばの森の狩人』.

 

 

たとえば、いかにして私が、とある百貨店の冥府のような地下駐車場へ降りていったかを、あなたに物語るとしましょうか。まだ建設中なのにすでに活動している冥府。それが私のなかで言わば一つの不安として作用するきっかけとなる、そうした幻想の一つ。それを物語ろうとこころみることにしましょう、私は理解してもらえないのです、人々は私に耳をかたむけません 、充分にはかたむけません、うんうんと言って……。それは言語化されませんし、もっばら私の内的言語のなかで表現されているにすぎないのです。私は冥府めぐりを体験しました、がそれを述べるすべを心得ていないわけです。

 

エルザ・トリオレ,田村俶訳『ことばの森の狩人』.